築地の魚河岸で働く人々から愛されながら計量管理は続く 築地市場計量管理担当 計量士 安齋正一
写真は築地市場のようす
築地市場は適正計量管理事業所)に指定されて五十年という節目の年
築地市場は昭和四十二年二月一日に計量器使用事業場(現在の適正計量管理事業所)に指定されてから本年は五十年という節目の年を迎えております。
歴代計量士について築地市場の前職場と氏名を紹介します。
担当計量士は国鉄 安田一氏、 計量研究所 小川亨氏、東京都計量検定所 長野暢夫氏、寺岡精工 安齋正一の順でつないできた
初代 国鉄 安田一氏、二代目 計量研究所 小川亨氏、三代目 東京都計量検定所 長野暢夫氏そして四代目 株式会社寺岡精工 安齋正一(平成十五年四月一日から現在に至る)。
本来なら築地市場は引っ越しして平成二十八年十一月七日に豊洲新市場開場という歴史的な近代的市場への変遷を迎える筈だったのですが、就任間もない小池百合子東京都新知事の裁量により「築地市場の豊洲への引っ越しは延期すること」になったのです。
築地市場で働く人々14,000人は「市場移転賛成派と反対派に二分」され激しい闘争へと進んでしまった
筆者が築地市場四代目の計量士として就任した平成十五年四月当時は、適正計量管理事業所数約一、一〇〇軒 使用計量器数約二、三〇〇個であった。しかし、昭和十年二月十日に開場した築地市場は老朽化が進み十年程前に当時の石原慎太郎都知事による豊洲への市場引っ越し事案が出現し、当事者である築地市場で働く人々約一四、〇〇〇人は「市場移転賛成派と反対派に二分」され激しい闘争へと進んでしまったのです。
平成29年夏適正計量管理事業所数800軒 使用計量器数1,700個。この14年の間に事業所が数300軒 使用計量器数が600個も減った
そして平成二十九年夏の現在は適正計量管理事業所数約八○○軒 使用計量器数約一、七〇〇個であります。何故この十四年の間に事業所数約三〇〇軒 使用計量器数約六〇〇個減少してしまったのか、その理由は一概には言えませんが、築地市場の魚仲卸店などを閉店し去っていった人々が数多くいるのです。
丈夫な身体に生んでくれた両親に感謝をしながら仕事を続けている
筆者は生れつきの健康に恵まれ、小学生のころ「頭や歯が痛い」と言えば越中富山の常備薬の「ケロリン」を腹が痛いと言えば「海人(かいにん)草(そう)」か「熊の胆」を母(満百歳で既に他界)が処方して飲ませてくれたのを有難く今でも憶えております。
中学生ころから現在までの約六十五年間、頭が痛いとか腹が痛いと言って医者にかかったことがありません。このことは、自分でも不思議なことと「日々丈夫な身体に生んでくれた両親に感謝を続けているところです」
20kg分銅を両手に持って台ハカリに積んで検査をしている
築地市場の日常業務でもマグロ計量用電気式ハカリひょう量三〇〇㎏に実用基準分銅を載せるときには、筆者もアルバイトの早大生に手伝わせて二十㎏を両手に持ってハカリ台に積み上げることがあります。
テレビも無いアパートに住む夜学生の生活はオリンピックは他人事でした
昭和三十九年(一九六四年)十月十日快晴の国立競技場で日本で初めてのオリンピックの開会式が挙行されたのです。
この当時筆者は、その春に定時制高校を卒業し四月から大学一年生(夜間部)であったため忙しい毎日で、テレビも無いアパートの一室ではオリンピックは他人事のようで、何一つ実物の競技や選手を見たことがありませんでした。
2020年東京オリンピックは計量の仕事を続けながら本物の競技や選手をこの目で見てみたい
そのため、二〇二〇年東京オリンピックは計量の仕事を続けながらこの目で本物の競技や選手を見てみたいと想うばかりです。
この九月初旬まで築地市場魚仲卸店の平成二十九年度計量器定期検査巡回中ですが、魚仲卸店の社長が「築地市場全般を計量管理している安齋計量士は築地でも豊洲でも居てくれよな」と言われます。
巡回検査をしていると築地市場の計量管理は魚河岸で働く人々から愛されているんだなと楽しくなる
何んと有難い言葉と感謝していると、別の魚仲卸店の五十歳ぐらいの社長は「俺も勉強して計量士の国家試験を受けようかな」と冗談を飛ばされます。
築地市場の計量管理は半世紀五十年続けてきましたが、魚河岸で働く人々から愛されているんだなと楽しく巡回検査を続けております。
(一般社団法人 東京都計量協会 築地市場計量管理担当 計量士 安齋正一 2017年7月執筆)
築地の魚河岸で働く人々から愛されながら計量管理は続く 築地市場計量管理担当 計量士 安齋正一